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過保護
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今の社会は明らかに過保護。それは守るという意味合いでしているというだろうが、実際には経験のない人間を作り出している。
危ないからといって何もさせないということは何もできない人間を作っていることになる。
私は、自分が思ったこと考えたことは一通りしてきた。失敗したら、失敗を元にどうしたら目的を達成できるかを考えて試行錯誤しながら、いろんなことをしてきた。
そうした経験が、裏打ちになって、効率のよい物事を行う知恵となっている。
もちろんいまだに失敗もあるし、人間は不完全というとおり、失敗のしない人間はいないと思っている。
今の過保護は、おかしい。役所が何から何まで牛耳っている。市民の中でもそれがいいと思っているものもいる。
子供も大人も同じでいろんなものを見、判断し、事を行い、失敗し、学び、経験を増していく。そうした中で知恵を得ていく過程であると思う。
経験のあるものに聞けばいいというかもしれない。聞くだけでわかるものもあれば、しなければわからないものもある。
たとえば、キャンプで炭に火をつけるとか、薪に火をつけるということがあるだろう。できない大人が多くいる。したことがないから仕方がない。必要がないから。昔は学校でもキャンプはあったろうし、その際にやっているはず。実際にやったなら体が覚えているはず。災害でライフラインがすべて止まったら、どうするんだろう。
危険なものをすべて排除していったら、面白くもない生活になるだろうし、経験のある大人というものがなくなってしまうだろう。
経験のない大人というものとなったなら、姨捨山の話もなくなってしまうだろう。若い人が年配の人から学ぶことがなくなってしまうのだから、捨てられて当然となる。
そんなことを望む人がいるだろうか?価値のない人間といわれることを望む人などいないと思う。しかし過保護の結果はそうなるであろう。
結果として、危険を察知する能力もなく危険を面白がって命を落とす大人が出てくる。テレビで、高波を見に行って高波にさらわれた映像を見た。まさにこのいい例だろう。
そして、この傾向を利用して、役所が一儲けしているということも忘れてはいけない。彼らが管理をすれば、高い人件費がかかる。
そして、もっと税金を使うために外郭団体を作り、天下ることをする。その連鎖が続いた結果が今の借金体質である。
ダムにしても、治水のためといっていながら、治水効果があまりないというし、かえって、地滑りを起こしているところもあるという。昔の人の知恵を継承していったほうがどれほどよかっただろうかと思う。
自然の力に勝てるわけはなく、自然と共存して以降とした昔の人はまさに経験からその知恵を持っていたのであるから。
過保護は、言い換えると社会主義といえる。国民すべての福祉の面倒を見るなんてことは金が無尽蔵になければできないことであり、その金も大半を役人が天下りで持っていく。下まで来るものはごくわずか。
こうしたことがわかってものを言っている人がどれほどいるのであろうか?それとも受け取る側だから都合のいいことを言うのだろうか。
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もちろんいまだに失敗もあるし、人間は不完全というとおり、失敗のしない人間はいないと思っている。
今の過保護は、おかしい。役所が何から何まで牛耳っている。市民の中でもそれがいいと思っているものもいる。
子供も大人も同じでいろんなものを見、判断し、事を行い、失敗し、学び、経験を増していく。そうした中で知恵を得ていく過程であると思う。
経験のあるものに聞けばいいというかもしれない。聞くだけでわかるものもあれば、しなければわからないものもある。
たとえば、キャンプで炭に火をつけるとか、薪に火をつけるということがあるだろう。できない大人が多くいる。したことがないから仕方がない。必要がないから。昔は学校でもキャンプはあったろうし、その際にやっているはず。実際にやったなら体が覚えているはず。災害でライフラインがすべて止まったら、どうするんだろう。
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経験のない大人というものとなったなら、姨捨山の話もなくなってしまうだろう。若い人が年配の人から学ぶことがなくなってしまうのだから、捨てられて当然となる。
そんなことを望む人がいるだろうか?価値のない人間といわれることを望む人などいないと思う。しかし過保護の結果はそうなるであろう。
結果として、危険を察知する能力もなく危険を面白がって命を落とす大人が出てくる。テレビで、高波を見に行って高波にさらわれた映像を見た。まさにこのいい例だろう。
そして、この傾向を利用して、役所が一儲けしているということも忘れてはいけない。彼らが管理をすれば、高い人件費がかかる。
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ダムにしても、治水のためといっていながら、治水効果があまりないというし、かえって、地滑りを起こしているところもあるという。昔の人の知恵を継承していったほうがどれほどよかっただろうかと思う。
自然の力に勝てるわけはなく、自然と共存して以降とした昔の人はまさに経験からその知恵を持っていたのであるから。
過保護は、言い換えると社会主義といえる。国民すべての福祉の面倒を見るなんてことは金が無尽蔵になければできないことであり、その金も大半を役人が天下りで持っていく。下まで来るものはごくわずか。
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